塚原卜伝は戦国時代に実在した剣士で、鹿島新当流の開祖です。
生涯にわたって数々の真剣勝負を行い、無敗であったという伝説が残っています。
また、宮本武蔵が後ろから切りつけたところを、塚原卜伝が鍋の蓋で受け止めたという逸話も有名です。
また、2011年には、NHKのBS時代劇枠でドラマ化され、堺雅人が塚原卜伝役を演じました。
そんな剣豪として知られた塚原卜伝の墓は、生誕の地である茨城県鹿嶋市にあります。
剣の達人のお墓ということもあり、武道を志す人のパワースポットとしても注目されています。
JR鹿島神宮駅から3.5kmほどのところにある塚原卜伝の墓
塚原卜伝の墓は、JR鹿島神宮駅から3.5kmほどのところにあります。
クルマだと5分~6分ほどで行けますが、徒歩だと50分くらいかかると思います。
駐車場の前には、塚原卜伝を解説した案内板が立てられています。
この案内板には、塚原卜伝が鹿島神宮の神職の家に生まれたことや、将軍足利義輝に剣術の指南をしたことなどが書かれています。
25段ほどの階段を上った丘の上に眠る塚原卜伝
塚原卜伝の墓は、25段ほどの階段を上った丘の上にあります。
もともとここには梅香寺というお寺があったとされていますが、焼失してしまって現在では卜伝の墓だけが残っています。
お墓の奥には、塚原卜伝について詳しく書かれた案内板があります。
何度も修行の旅にでたことや、鹿島神宮に千日間こもって精神修行をして悟りを開いたことなどが書かれています。
宮本武蔵との鍋蓋による対決は作り話
「塚原卜伝は本当に実在したんですか?」などと言う人もいるようですが、実在しない人の記録がこれほどリアルに残っているはずがありません。
ただし、冒頭に書きました宮本武蔵との鍋蓋による対決は、事実ではありません。
なぜなら、塚原卜伝が元亀2年(西暦1571年)に83歳でこの世を去っているのに対して、宮本武蔵が生まれたのは天正12年(西暦1584年)とされているからです。
宮本武蔵によって書かれたとされる五輪書の冒頭に「歳つもりて六十」という記述がありますが、寛永20年(西暦1643年)に数え年60歳であるならば、武蔵が生まれたのは天正12年(西暦1584年)と想定されます。
つまり、宮本武蔵は、塚原卜伝が亡くなってから生まれているのです。
さすがにこれでは対決のしようがありません。
後世の人が、剣豪同士の対決という多くの人が興味を引きそうな話を、面白おかしく作り上げてしまったのでしょう。
JR鹿島神宮駅のすぐ先にある塚原卜伝の銅像
鹿島神宮駅を出て、南に向かって200mほど歩くと、「塚原卜伝生誕の地」と書かれた大きな看板が目に入ります。
ここには、塚原卜伝の銅像が建てられています。
実際の塚原卜伝の顔かたちがどうだったのかは分かりませんが、隙のない剣の達人の姿をこの銅像では見事に表現しています。
塚原卜伝のお墓を訪れる際には、ぜひこちらの銅像も見て行かれるといいでしょう。
ちなみに、肖像画に書かれた塚原卜伝は以下になります。銅像とはちょっとイメージが異なりますね。
銅像の近くには塚原卜伝生誕500年の記念碑も建てられています。
BS時代劇のロケ地となった鹿島神宮
冒頭に、堺雅人主演の塚原卜伝のドラマについて書きましたが、このドラマでは鹿島神宮もロケ地の1つとなっています。
鹿島神宮の奥参道、奥宮、御手洗池、稽古場、五叉路、要石などで撮影が行われました。
BS時代劇の塚原卜伝の放送は2011年ですが、いまでもNHKオンデマンドで観ることができます。
堺雅人というと半沢直樹のイメージが強いですが、時代劇を演じる彼の雄姿も見ておいて損はありません。
文:護持八平
塚原卜伝の墓
塚原卜伝の銅像